板橋区立郷土資料館

[ 開館時間 ]9時30分~17時 (入館は16時30分まで)
[ 休日 ]毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)・年末年始

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生きる~土の中に埋もれた板橋の歴史~

生きる~土の中に埋もれた板橋の歴史~

旧石器時代から平安時代までの、地中に埋もれた板橋の歴史が「生きる」です。約3万年から900年ほど前になります。この頃の板橋を語る文書がほとんどなく、遺跡の発掘調査によって明らかになっています。

  • 遺跡はどこにある?

    遺跡とは人間が残した跡という意味で、地中に埋もれています。板橋は北側に荒川が流れる右岸の台地にあたり、また、川ぞいには河川の氾濫土が堆積した平地が開けています。高台、低地という表現はこれにあたります。この荒川にそそぐ川には石神井川、白子川、前谷津川、出井川などがあり、昔は水が暮らすうえで大変重要でしたから、高台の川ぞいにはほとんど遺跡がある状態です。しかも、くりかえしそこに住み着いたので各時代の遺跡が重なっていることが珍しくありません。時代が下る弥生時代以降は、稲作文化の影響で、積極的に川べりの低地帯へ進出していきます。弥生時代の水田跡は見つかっていませんが、平安時代の水田が新河岸で発見されています。現在、板橋には174カ所の遺跡があります。

  • 旧石器時代の遺跡

    この時代は3万年前から縄文の始まる1万年前まだの時代です。地表から1メートルほど掘ると、黒土の下が黄色っぽい関東ローム層と呼ばれる火山灰で、この最上層が立川ローム層です。ここから発見される石器や火を使った時に出る炭化物などから遺跡と判定できます。南関東で最初の旧石器時代遺跡とされた茂呂遺跡をはじめ、区内全域から多数の遺跡が見つかっています。

  • 縄文時代の遺跡

    旧石器時代の終わりごろと縄文時代の始まりは地域ごとの違いがあることがわかっています。縄文時代とは、縄目文様のついた土器が作られた時代です。旧石器時代との接点を草創期、貝塚が現れる時代が早期で、前期・中期・後期・晩期と時代区分しています。時代ごとに土器の特徴が異なることから、型式名をつけて分類することがおこなわれています。主な貝塚として小豆沢貝塚、四枚畑貝塚、中台馬場崎貝塚、四葉貝塚、赤塚城址貝塚など、荒川にそった台地に広がっています。

  • 弥生時代の遺跡

    弥生時代初めの遺跡は少ないですが、中期・後期には環濠集落を築く遺跡が出現します。環濠を築くのは敵から集落を守る目的があるためとされています。しかし、区内には多数の環濠集落が見つかっていますので、防御だけを目的にしたものでない可能性があります。低地には水田を作っていたと思われますが、居住するようになるのは古墳時代に入ってからです。

  • 古墳時代の遺跡

    板橋では弥生時代終わりごろから古墳時代初めごろの遺跡が多数見つかっています。前野町から発見された前野町式土器が代表です。徳丸原大橋遺跡(高島平9丁目)のように、低地への進出も積極的になっています。古墳か住居か意見がわかれますが、台地上の大型古墳が志村や赤塚にあり、埴輪も発見されています。

  • 奈良・平安時代の遺跡

    国家としての集権体制(律令体制)が確立した時代です。板橋は豊島郡広岡郷に属していましたが、その中心地がどこであったかのか不明です。住居からは多数の鉄製道具も発見されるようになります。板橋、志村や赤塚から有力な人間が出て、彼らの一部が鎌倉幕府の御家人となっていきました。主な遺跡として栗原遺跡、志村遺跡群、中台畠中遺跡、四葉遺跡があります。

3つのテーマと
導入展示からなる展示案内

  • 導入展示~板橋の自然・歴史・文化~
  • 生きる~土の中に埋もれた板橋の歴史~
  • 暮らす
			~板橋の中世・近世~
  • 戦う~板橋の近代と戦中戦後のくらし~
  • 特別展・企画展特別展・企画展

  • 交通アクセス交通アクセス