板橋区立郷土資料館

[ 開館時間 ]9時30分~17時 (入館は16時30分まで)
[ 休日 ]毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)・年末年始

お知らせ 交通アクセス
年間行事

板橋区立郷土資料館公式Twitter

展示案内
EXHIBIT

暮らす~板橋の中世・近世~

暮らす~板橋の中世・近世~

中世のいたばし

中世の板橋区域を開発して所領としていたの豊島氏でした。彼らは、いくつかの拠点を置き、その地域の開発を進めました。その結果、区域内には板橋郷・赤塚郷・志村庄の三つの郷庄ができました。

  • 板橋郷・赤塚郷・志村庄

    鎌倉期豊島氏は、三つの郷庄をはじめ豊島郡域の領主として有力な御家人の地位を築づきました。しかし、仁治2年(1241)豊島時光が博奕の罪で所領が没収され、その所領は執権北条氏領となります。約10年後に豊島氏は罪を許されますが、赤塚郷は北条氏領のままとなります。南北朝以降、赤塚郷は足利直義―足利直義正室(本光院)―足利義詮正室(渋川幸子)―春屋妙葩は(天竜寺住職)―鹿王院と領主をかえ、15世紀半ばには太田道灌を頼り逃れてきた千葉(武蔵千葉)氏領となります。板橋郷・志村庄は豊島氏の支族板橋氏・志村氏がそれぞれ拠点として宗家豊島氏とともに支配していました。それぞれの郷庄には拠点となる城がありました。赤塚城・志村城については所在が明らかにされていますが、板橋城は諸説あります。

  • 戦国時代のいたばし

    豊島氏の支配下にあった区域ですが、豊島氏が扇谷上杉氏の重臣太田道灌との所領をめぐる対立により滅亡すると太田氏領となりますが、赤塚郷は千葉氏領、志村庄は太田氏領、板橋郷は板橋氏が直接支配をしたものと考えられています。小田原北条氏の支配下に入った16世紀半ば、小田原北条氏の滅亡に至るまでこのような状況が続きました。

近世のいたばし

徳川家康が関東入部を果たすと板橋区域17か村の大部分は徳川氏の直轄領(天領)となりますが、いくつかの村では大名領・旗本領が入り交じることになります。いずれも幕府の関係者であり、江戸を守るための配置となっていました。

  • 板橋宿

    江戸から数えて中山道第一の宿場が板橋宿となります。参勤交代の大名など貴人の休息・宿泊施設として本陣・脇本陣が設置され、一般の旅行者のために旅籠や茶店が設けられ、旅行者の休息・宿泊に利用されていました。また近世後期に伝馬50人・50疋が常備され、周辺の42か村が定助郷村となり、物資の輸送等に携わっていました。 中山道をはさんで形成された宿場町は、約1.7㎞で江戸方面から平尾(下宿)・中宿・上宿と分かれており、それぞれ豊田・飯田・板橋の各氏が名主を務めていました。平尾には21万余坪の広大な加賀藩前田氏の下屋敷が広がっていました。天保14年(1843)の板橋宿の人口は2448人、家数は573軒を数えたといいます。

  • 和宮と縁切榎

    上宿には縁切榎があります。もとは大六天神の神木といわれ、庶民の間では悪縁を切って良縁を招くとして親しまれていました。

    文久元年(1861)11月に後の13代将軍徳川家茂に嫁ぐ皇女和宮が板橋宿を訪れた際には、「縁切」が縁起の良くない語として、わざわざ中山道を外れた智ち清寺の方迂回路を設置して、宿舎の脇本陣飯田宇兵衛家に入りました。飯田家では和宮の一泊のために家の造りを変えるなどの準備をしています。

  • 鷹狩

    近世初期から板橋では鷹狩・鹿狩が行われました。徳川秀忠・家光は、一回の狩りで数百頭の鹿を捕獲したといわれます。

    生類憐みの令で中断していた鷹狩が8代将軍徳川吉宗によって復活すると、板橋区域は戸田筋の鷹場組合に組み込まれます。鷹場組合の村々は志村に置かれた鳥見屋敷の支配下に入り、領主との二重の支配をうけることになります。そして、鷹のエサである袋蜘蛛・ケラ・エビヅルムシなどを期日までに上納したり、鷹狩のおりには、勢子として御用を務めるなどの負担を強いられることにもなりました。

  • 砲術訓練

    現在高島平団地が所在する地域は、江戸期には広大な荒川沖積低地で、氾濫原となっていました。氾濫原に荒川よりは「まぐさ場」として近郷の村々の共用地となっており、台地寄りは水田耕作がされていました。この地を幕府は18世紀半ばから大砲の訓練場に定め、幕末まで度々訓練が行われました。とくに天保12年(1841)5月に長崎の町役人である高島秋帆が洋式の砲術訓練は注目されます。赤塚松月院に本陣を置き、步砲2隊によるモルチ―ル砲・ホーイッスル砲など4門を用いた演習と馬上発射の実弾射撃を実施しました。この訓令は当時の国際情勢からも話題を呼び、幕府は多くの大名・鉄砲方に見学させています。一方、近在の農民たちは演習のたびに人夫としてかりだされていましたが、5月9日の秋帆の調練には徳丸本村の名主が御用旗をもち、羽織袴の正装で人夫の陣頭指揮に当たったといわれます。

3つのテーマと
導入展示からなる展示案内

  • 導入展示~板橋の自然・歴史・文化~
  • 生きる~土の中に埋もれた板橋の歴史~
  • 暮らす
			~板橋の中世・近世~
  • 戦う~板橋の近代と戦中戦後のくらし~
  • 特別展・企画展特別展・企画展

  • 交通アクセス交通アクセス